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「プロになって知った『サッカーインテリジェンス』の重要性」米山大輔(指導者・選手エージェント会社所属スカウト)×幸野健一 対談(前編)

COACH UNITED編集部です。サッカー・コンサルタントであり、アーセナル市川SS代表を務める幸野健一さんがゲストを迎えてお送りする対談シリーズ、『幸野健一のフットボール研鑽(けんさん)』。今回のゲストは元Jリーガーの米山大輔さんです。

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米山さんはセレッソ大阪やサガン鳥栖、ロアッソ熊本、ツェーゲン金沢でプロとして活躍後、育成年代を指導するとともに、エージェント会社のスカウトとして活動しています。多彩な経歴を持ち、ジュニアからプロまで幅広い経験を持つ米山さんとの対談を、2回に渡ってお届けします。(構成・写真/鈴木智之)

幸野:米山さんは2008年のプロ引退後、エージェント会社のスカウトとスクールの指導者をしていると聞いています。元Jリーガーという経歴を持ち、エージェント会社のスカウトをされている方は、日本では米山さんだけだと思います。今回はJリーガー時代の話から、指導について、選手のスカウトについて、話を聞かせてもらえたらと思っています。

米山:よろしくお願いします。

幸野:まずはJリーガー時代のことについて伺いますが、三重県の暁高校を卒業して、セレッソ大阪に加入したんですよね。

米山:そうです。同期には大久保嘉人(川崎フロンターレ)、濱田武(徳島ヴォルティス)や、タイリーグでプレーしている多田大介がいました。当時は高卒の同期入団が8人いたんです。

幸野:8人とは、いまでは考えられないですね。高校を卒業してプロに入って、最初にどんなことを感じましたか?

米山:すべてが違いましたね。スピードやフィジカルはもちろんですが、状況判断やサッカーインテリジェンスの部分で、大きく違いがありました。僕がセレッソに入ったときは、森島寛晃さん、西澤明訓さん、真中靖夫さん、久藤清一さん、盧廷潤さん、黄善洪さん、尹晶煥さんなど、代表クラスのすごい人達がたくさんいました。その中で、高卒一年目の自分は、いかにサッカーを知らないかを痛感させられましたね。

幸野:具体的にはどのあたりが?

米山:若いときは身体がキレているので、動き自体はいいのですが、ベテラン選手の中に若手が入るとプレーの流れが止まったり、ミスが出たりしていました。それは自分以外の若手選手が入ったときにも感じました。先輩に「ドリブルで仕掛けるタイミングが遅い」と指摘されたことがあったのですが、20歳前後の頃は、先輩たちがイメージしている場所にポジションがとれていなかったんだと思います。

幸野:なるほど。

米山:若いうちから考えてプレーできる選手は、若い世代の日本代表クラスでした。ベテランの選手は多くの経験を積んでいるので、考えてプレーができます。では時間を掛けないと身につけられないのかというと、それも違うと思うんです。日本代表に入っている同世代の選手は、早い年代からサッカーを理解していましたね。

幸野:とくに育成年代においては、サッカーインテリジェンスというか個人戦術に関する部分はおろそかにされがちです。そもそも、指導者自身がサッカーに必要な個人戦術を知らないと教えられません。最近は聞かなくなりましたが、4種年代においては『技術さえ教えていればいい』と考えている人も多いと思います。でも、技術と戦術は表裏一体で、どこにボールを止めるか、いつ、どこへドリブルをするのかという部分は個人やグループの戦術が関わってきます。米山さん自身振り返ってみると、小学生からサッカーをしてきたなかで、教えられてこなかったですか?

米山:そうですね。

幸野:それは米山さんが特別なことではなくて、多くの選手が教わって来なかったのだと思います。いまの子どもたちでも、教わっていない人の方が多いのではないでしょうか。

米山:当時の指導を否定するわけではないのですが、「少年時代に戦術はいらない」と言われたことは覚えています。自分が受けてきた指導でいうと「ドリブルで相手を何人抜いた」といったことがメインになっていました。ただ、いま振り返ると、相手がいる状況下でスペースを把握し、ボールを奪われないようにコントロールをすることや、「この局面ではドリブルとパスのどちらが有効か」を判断することなども、意識して練習していれば良かったと思います。

幸野:当時は多くの指導者がそう思っていたし、いまもそう考えている人は多いと思います。「戦術」という言葉だけを取り出すと、選手をロボットのように操るというイメージを持たれがちですが、実際はそんなことはありません。持っている技術を有効に使うためにも、状況判断をともなった個人戦術が必要なのであって、技術と戦術を切り離すべきではないと思っています。

米山:私が小学生の頃は、サッカーにインテリジェンスという言葉はありませんでしたし、ドリブルがうまければ上のレベルでも通用するといった時代でした。

幸野:よく分かります。日本にはそういう選手が多くて、ドリブルに特徴のある選手はピッチのどの場所でもドリブルをしようとしますよね。それが日本の現状であって、プロになった後に戦術の大切さに気がつくようでは、日本のサッカー界全体を考えるとマイナスだと思います。

■プロになって初めて知った「ボールを受ける前に首を振って周りを見る」こと

幸野:先ほど、大久保選手と同期という話がありましたが、彼は高卒でセレッソに加入したときから飛び抜けた存在だったのですか?

米山:嘉人(大久保)は腕や身体の使い方が抜群に上手かったですね。ただ僕自身、技術面では負けていない自信はあったんですよ。でもいま振り返ると、インテリジェンスの面では差があったのかなと思います。彼はサッカー選手として頭が良かった。だからパスも来るし、チャンスの場面に顔を出すこともできる。そう思った記憶がありますね。

幸野:米山さんが試合に出られなかった20歳前後の頃は、インテリジェンスが足りないからだと思っていたんですか?

米山:それしかないですね。技術は自信がありましたから。試合に出て点を決めたのに、次の試合ではメンバー外になったこともありました。監督からすると、最低でも80%のパフォーマンスを出せる選手を使いますよね。計算できる選手のほうが、試合では使いたくなります。結局一人では何もできません。

幸野:当時のシステムは?

米山:3-4-2-1で、僕は2シャドーの一角で出ることが多かったです。4-4-2の場合はサイドハーフかセンターの攻撃的なポジションでした。動きの質に関しては、プロになって時間をかけて身体で覚えてきた部分がほとんどです。具体的に言葉で理解できないままプロになったので、自分が指導者になったときは、言葉の重要性はすごく考えました。『この言葉をかけたら、子どもはこう変わる』というのを見てきたので、敏感になりました。

幸野:サッカーインテリジェンスや動きの質を身につける上で、どのようなきっかけがあったんですか?

米山:プロになって4年目のときに、セレッソの監督に小林伸二さんが就任しました。そのときに「ボールを受ける前に首を振って周りを見ろ」と、口を酸っぱくして言っていたのを覚えています。そのときから意識するようになりました。ウォーミングアップのときからずっと意識をしてやっていた記憶があります。

幸野:ということは、それまで「パスを受ける前に首を振って周りを見る」ことをやっていなかった?

米山:全くやっていなかったというわけではないですけど、首を振る(見る)タイミングなどを意識したこともないし、言われた記憶もないですね。でも、それができるようになると、プレーに余裕が生まれてきたんですよね。こんなに違うんだと驚きました。その後、僕は熊本に移籍するのですが、余裕でプレーできた記憶があります。

幸野:首を振ることは、いまでは小学生でもやっていますよね。

米山:そうですよね(笑)。僕が指導をしていたとき、小学生の保護者に言いましたよ。僕が首を振って周りを見るようになったのは、プロでプレーしていた25歳の頃からですよって。

幸野:セレッソにいたそうそうたる先輩方は、小林監督に言われる前から「首を振って周りを見る」ことはできていたんですか?

米山:人によりますけど、首を振って周りを見るプレーに関しては、アキさん(西澤明訓)は抜群で、チームメイトの誰もが認めていましたね。身体の使い方もうまかったですし。

幸野:森島選手は?

米山:あの人のプレーはすべて理にかなっていました。身体が小さい(168cm)ので、絶対に足元にボールを止めないんです。雨の日でもミスをせずに、ファーストタッチで5cm、10cmとボールを動かしていました。ボールコントロールに関しては、アキさんも「モリシが一番うまい」って認めていましたね。

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【プロフィール】
米山大輔(よねやま だいすけ)
アスリートプラス㈱所属。指導者、チーフスカウト。現役時代は攻撃的MFとして、セレッソ大阪やサガン鳥栖、ロアッソ熊本、ツェーゲン金沢で活躍。2008年の引退後、奈良県で指導者の道を歩み始める。2014年より現職。

株式会社アスリートプラス
日本代表細貝萌、小林悠、元日本代表主将宮本恒靖、元日本代表イビチャ・オシム監督らが所属。
公式HP:http://athleteplus.jp/