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山口素弘のボランチの勧め

ドイツ代表にはシュバインシュタイガー、ケディラが、スペイン代表にはシャビアロンソ、セルヒオ・ブスケッツといった替えのきかない中盤の選手たちがいる。ボランチと呼ばれる彼らは、決して派手さはないが攻守のつなぎ役としてゲームをコントロール。そのプレーの良し悪しで戦況が変わるほどの影響力を、ピッチで有している。名手と呼ばれた山口素弘が、ボランチの魅力を語る。(取材・文/一色伸裕)

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■ 片方だけの選手になるな

中盤で試合をコントロールするボランチ(ポルトガル語で"舵取り"の意味。スペイン語では同ポジションをPivoteピボーテと呼び、アルゼンチンなどの中南米スペイン語圏の国では、Volante Centralボランテ・セントラルと呼ぶ)の存在は、現代サッカーにおいて不可欠なものとなっている。

例えば、2014年のワールドカップを制したドイツ代表。シュバインシュタイガー(バイエルン・ミュンヘン)、ケディラ(レアル・マドリード)という2人のボランチを中盤に配置し、攻守のバランサーとしてゲームの流れをうまくコントロール。守備ではスペースをうまく消して敵の攻撃の芽を摘むと、攻撃では引いた位置で広い視野を確保し、相手守備網の手薄な場所を見極めて好機をつくり出すパスを配球し続けた。決して派手なプレー内容ではないが、彼らの活躍がなければドイツの優勝もなかったかもしれない。準優勝を果たしたアルゼンチンにも、マスチェラーノ(バルセロナ)という舵取り役がいた。メッシ擁する攻撃陣をサポート。守備ではハードワークを見せ、ピンチを未然に防いでいた。

日本人選手では、ドイツで活躍する細貝萌(ヘルタ・ベルリン)、長谷部誠(フランクフルト)、さらには昨年のJリーグMVPで、長年にわたり日本代表を支えている遠藤保仁(G大阪)といった選手がボランチの代表格と言えるだろう。鈴木啓太(浦和)、明神智和(G大阪)、稲本潤一(札幌)、さらには引退をした福西崇史、戸田和幸、山口素弘、森保一といった面々もゲームコントロールに秀でた選手だった。なかでも昨季まで横浜FCの監督だった山口は、遠藤、細貝にも影響を与えたボランチと言える存在だった。

「いま僕がこうしたプレーをしているのも、プロになったときに同じチームに素さんがいて、素さんのプレーを見て一緒に練習してきたから」と遠藤が語れば、細貝は「『素弘のプレーを見ろ』と監督にはいつも言われていました。それでボランチというポジションに興味を持てたというのもあります」と、母校・前橋育英高の先輩である山口を手本とするよう、在校時に山田耕介監督に常日頃からアドバイスを受けていたという。

遠藤、細貝と、現在の日本を代表する選手たちに大きな影響を与えた山口だが、自身がボランチとして目覚め始めたのは、高校、大学(東海大)の頃だったようだ。

「それまではずっと細貝みたいにトップ下の選手でした。攻撃的なプレーが好きで、守備を怠っていたら、山田監督から『(攻撃)片方だけの選手になるな』と言われたんです。そこから守備を意識するようになりました」(山口)。卒業後進んだ東海大でも、同大サッカー部の宇野勝監督から攻守両面で貢献できる選手になるよう指導された。「最初は難しいところもあったけど、ボールを多く触れるポジションだから楽しかったですね」。こうして試合の流れをハンドリングする"舵取り役"へと開眼していった。

ボランチとして大成した山口に、その要因を聞くと「試合を多くこなしたことが大きい」という答えが返ってきた。「学生時代の思い出に残っている練習法とかはなかったけど、ただ、試合を数多くこなしたことは大きかったと思います。試合を重ねることで、実戦の場でボールを奪う力というのを身に付け、磨きを掛けました」と答えた。守備を意識しながら実戦に臨むことで、その役割の重要性を再認識。かねてより備えていた攻撃の才能に守備力が加わり、プレーの幅が広がった。前橋育英高、東海大、そして1991年に加入した全日空(のちの横浜フリューゲルス)と所属するチームで攻守の要となり、95年に日本代表デビュー。その後は代表に欠かせない選手へと成長した。

98年フランスW杯アジア最終予選、韓国戦(97年9月28日)で見せたループシュートはファンの記憶に残るものとなったが、相手ボールを奪取してから攻撃へと移り、そこから決めたシュートに、同選手がそれまで培った経験が集約されていたと言えるだろう。

■ 奪う楽しさを感じさせる

ボランチのやりがいを「流れている状況を常に頭に入れながら、先を考える。そして自分のプレーでゲームをコントロールする。これができるというところで、ボランチは面白い。ピッチの中央にいて、試合を動かせるのがボランチというポジションだと思います。昔と違っていまはタフなプレーが要求されるようになってきたけど、システムが変わったりしても、攻守をコントロールする、バランスを考えるプレーは変わらないと思います。そこが面白いところですね」と山口。「もし子供にボランチをやらせるのなら、『ボールを奪う』、そして仲間から『ボールを受ける、引き出す』ことの楽しさを経験させること。ディフェンスからボールを受けて攻撃につなげる。あるいは相手から奪って攻撃につなげる。その面白さを、まずは経験させることが大事」と付け加えた。

攻撃だけでなく、守備だけでもない。攻守両面を司るからこそ、どこよりも重要なポジション。子供たちはゴールするストライカー、あるいはトップ下に憧れがちだが、幼い頃よりボールを奪う楽しさ、攻守のつなぎ役となる楽しさを経験させることができれば、ボランチを志すプレーヤーも増えてくるのかもしれない。そのような子供が増えることを、山口も望んでいる。

山口素弘(やまぐち・もとひろ)
1969年1月29日群馬県生まれ。前橋育英高、東海大を経て、91年に全日空サッカークラブ(横浜フリューゲルスの前身)に加入。99年のチーム消滅後は、名古屋、新潟、横浜FCでプレー。日本代表では、98年W杯フランス大会に出場した。2007年引退後は解説者、横浜FC監督などを務める。