11.13.2014
『長所を伸ばした風間流再生術』 ~大久保嘉人・復活の秘密~
昨季移籍した川崎において、大久保嘉人は26得点とゴールを量産し、J1リーグ得点王に輝いた。今季も31節終了時点で15得点と好調を維持し、11日には他クラブからのオファーを断り、川崎との契約更新発表したばかり。ベテランFWはどのようにして復活を遂げたのか。復活の秘密に迫る。(文/江藤高志)
■ ボールを扱える選手の価値
点を取るというのは、特別な才能である。
足でプレーするという特性を持つサッカーにおいて、1点の価値は非常に大きい。手を使うバスケットボールのように、ハイペースで点を奪い合う展開にはなることはまずない。
足でボールを運び、手を使えるキーパーが守るゴールを破る。相手選手が密集するゴール付近で自在にボールをコントロールし、ゴールに蹴り込める選手は、それだけで価値を持つことになる。
どのチームにもエースと呼ばれる選手がいる。エースのエースたる所以は、足しか使えない競技において点を取れるからだが、点を取るためのスキルは、実はピッチ上のどのエリアにおいても有効と言えるものである。密集地帯で落ちついてボールをコントロールし、視野を保てる選手のテクニックは、ピッチ全域で共通に使える。そんな事実について、疑問符をつける者はそう多くはないだろう。
高い技術を持つ選手であれば多くの役割を与えたくなるのが人情である。たとえば2013年に川崎フロンターレへと移籍し、得点王となった大久保嘉人が好例だ。彼の前所属クラブ(ヴィッセル神戸)での、2012年の年間得点数はわずかに4点。選手としてのピークは過ぎたとすら思われていた中、移籍した川崎で年間26ゴールを奪いJ1リーグ得点王を手にしたのは記憶に新しい。今季もリーグ戦31節を消化して15ゴールを奪っており、得点ランキング首位タイにつけている。大久保嘉人を再生させた川崎での活躍の背景には何があったのだろうか。
■ 長所だけを伸ばした風間流再生術
神戸時代の大久保は、高い能力を持つ便利な選手として使われていた。基本的な技術の高さに加え、走力、戦術理解能力を高い水準で持ち合わせており、一流と言える選手だった。指示を出せば自陣ゴール前まで戻り守備をし、そこから敵陣に向かって全力疾走してゴールを脅かすのだから、指導者とすれば大久保により多くの役割を与えたくなる気持ちは十分に理解できる。大久保は神戸時代について「守備面での役割が多かった」と口にしてきていた。川崎への移籍間もない2013年2月4日、新天地の印象について聞くとこう答えた。
「ぶっちゃけて言うと、フロンターレは去年やった中で一番弱いと思いました。ディフェンスがバラバラすぎて、(DFの)間、間でボールをもらえるし、そのとき(2012年10月27日第30節)は最後出たんですが、なんであんなチームに3-3で引き分けたんだろうかと。そういうのはありました」
きっちりと守備をする神戸と、より攻撃的に試合を進める川崎。両者の守備に対する意識の違いがこの大久保の言葉で示されているが、結局のところ川崎は、守備面での代償を払って攻撃的なスタイルを得ていたことになる。
「けど、(ここ川崎は)パスサッカーで攻撃的で、何点取られても、もっと点を取りに行くよ、という姿勢で行くから、そこはすごく楽しみです」
川崎への移籍は、攻撃的なスタイルについて熱心に語るクラブの強化部との面談で決めた。指揮官である風間八宏監督も、よりゴールに近いポジションを大久保に与えた。自陣ゴール付近での守備は必須タスクではなく、大久保の判断に任せられた。そしてよりゴールに近いところにポジションを取るよう、風間監督は指示。大久保が守備に奔走しなくとも破綻しないチームづくりを進めた。
この結果、大久保は再生を遂げた。復活の最大のポイントは、ペナルティーエリア内でボールを受けられるということ。攻撃の起点には日本屈指のコンダクター中村憲剛がおり、動き出したタイミングでパスが出てくることで、相手最終ラインとの駆け引きから自分のタイミングでその背後へと飛び出すことができ、得点へとつなげていった。そして風間監督から教えられた、『パスを引き出すための理論』がここに加わった。ペナルティーエリア内で相手を外すさまざまなテクニックを指南された大久保は、見る見るうちにそれらを吸収し、相手を脅かす選手への変貌を遂げた。
そもそも、神戸時代の大久保は「シュートが下手」という嫌な烙印を押されていた。川崎への移籍直後、神戸在籍時を知る記者から「大久保は上手い。シュートにまで持ち込める。だけど、外す」という話を聞いたことがあった。川崎に移っても例外ではないのではないか、と話された。ところがいざふたを開けてみると、川崎ではその前評判を覆す活躍を見せた。指揮官が過度な守備のタスクを与えなかったことで、大久保はその持ち得る能力を存分に発揮した。周囲の守備も彼をサポートした。敵からボールを奪った際の大久保のポジションが、多くの場面で相手ゴールに近い位置だった。これはチーム全体が押し上げ、高い位置からの守備を心掛けているからこそ実現可能なこと。神戸時代は自陣深くにまで下がらざるを得ず、そこから数十メートルを全力疾走しなければチャンスに絡めなかった。この状況を考えると、川崎ではシュートに持ち込むまでの体力の消耗を最小限に抑えることができる。結果的に、ここ一番でのシュート精度が落ちず、ゴールを量産できたのである。
■ どん欲な姿勢も復活を後押し
そうした戦術的な違いに加え、彼自身が示してきた「うまくなることへのどん欲さ」も得点量産の要因の一つであろう。たとえば大久保は2013年の浦和戦で、J1通算100ゴール目をPKで決めこう話している。「キーパーが動くまで凝視して、その逆に蹴るのが秘訣」。実際に大久保のPKを見返すと、そうして蹴ってきたものが多い。だが、その後はGKの動きとは無関係に「ズドン」と蹴るようにスタイルを変えている。このPKのスタイル変更、風間監督から多くを吸収する姿勢と、それまでの成功体験にあぐらをかかず、常に成長のための方策を模索してきている。この姿勢は2013年に見せたいくつかのミドルシュートでも、結果となって表れている。
川崎への移籍当初「ミドルシュートは得意ではない」と話していた大久保だが、蹴り方を研究し、若手選手に混じって居残り練習を繰り返す中でコツをつかむと、ナビスコカップ準決勝、浦和との第1戦や、リーグ23節大宮戦では、鮮やかなミドルシュートでゴールを射抜いている。過去がどうであれ、まずは日々努力する。そんな彼自信の性格が、川崎でのプレーの中で生かされ、ゴールという結果として出てきたのである。
常に進化を模索する。そうした大久保の姿勢に加え、チームが戦術として大久保を生かす策を取る。風間監督が同選手をゴール前に配したことで、その才能は余すところなく引き出され、川崎での成功につながっていると言える。
指導者が「試合に負けない」という考えを持つことを否定することはできない。ただ、それと同等に試合に勝つことの大切さも忘れてはならない。必要以上に守備的になり選手の才能を埋もれさせるのではなく、適材適所の起用法で、選手たちの才能を生かす采配を取ることが望ましい。大久保の再生は、それを実践したことに起因している。
取材・文 江藤高志