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女子は小学生から走力をつけよう―川澄奈穂美の走力の鍛え方

※サカイク転載記事(2014年6月17日掲載)※

「女子は第二次成長期に入ると、下半身に重心が移動してきてしまいます。そうなるまえに、走力をつけることがじつは大事」。これは、川澄を輩出した大和シルフィードの加藤さんの発言です。アジアで初優勝を決めたなでしこジャパン。その試合をTVの前で手に汗握って応援していた親子も多いことでしょう。また、これをきっけかにサッカーをやりたいと思っている少女もいると思います。この大会の初戦・オーストラリアとの試合は、2点先行されたものの最終的には2-2。試合内容も結果も厳しいものでした。しかし、なでしこを最も苦しめたのはフィジカルで優る対戦相手より、気温29度、湿度66%という高温でスコールの多い東南アジアならではのピッチコンディションでした。そんな中、90分間走り続け2得点に絡んだ選手がいます。MF川澄奈穂美です。今シーズン、INAC神戸からアメリカのシアトル・レインFCへレンタル移籍。さらなる成長の場所を世界に求め、毎日スキルアップに励んでいます。試合環境に苦戦した選手が多い中、彼女の走力や無尽蔵のスタミナはズバ抜けていました。どうやって、それらを身につけたのでしょうか? そこには、家族の支えが大きな要素となっています。(取材・文/上野直彦 写真/金子悟)

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■子ども時代の忘れられない練習法『ヌキヌキ』

「私は地域に育てられたんです」

以前、川澄は育成年代について質問されたときにこう答えています。

出身地は神奈川県大和市。東京と横浜の中間に位置し、人口約23万人の典型的なベッドタウン。川澄はこの町にある少女チーム・林間SCレモンズで小学生時代、大和シルフィードで中高生時代にプレーしています。両クラブでの代表を務めるのは加藤貞行氏。加藤氏は写真館を経営していますが、子どもがサッカーをやっていたことから地元クラブの代表に。実直な人柄と面倒見のよさから子どもとその親から絶大な信頼を得ています。「加藤さんは一生の恩人といえる存在」と川澄本人も話しています。

この大和シルフィードには独特の練習法――「ヌキヌキ」といわれるものがあります。校庭1周200メートルぐらいのグラウンドを、レベル別に10人程度でひと1グループ1列になって、ドリブルをしていきます。ただし、普通のドリブル練習ではありません。後ろから前へチームメイトの間をドリブルしながら抜いていくのです。これを後ろの選手から先頭にむかって順番に上がっていきます。その間、グループ全体はグラウンドを周回します。これを25分間ひたすら繰り返すのです。大人がやっても相当ハードな練習です。ドリブルの技術を磨きながら走力もアップできるので、とくに小学5~6年生の少女にはうってつけの練習です。ご家庭でヌキヌキを実践することは難しいかもしれませんが、技術を磨きながら走力もつく練習法を、親子でも考えていきましょう。

■下半身の重心が移動する前に

どうしても女子は成長とともに下半身に重心が移動してしまう場合が多いのです。その前に、いかにして走力を身につけるか。この練習の意図はそこにあります。

加藤氏は語ります。「当時どこかの少年チームが、この練習をやっていた。それを距離と時間を女子用にアレンジして取り入れました。走ることはサッカーでは基本。チームの創部はナホ(川澄)が中1のときでしたが、そのときからこの練習方法はやってますね」。

最初は子供たちもフーフー言いながらの走行でしたが、効果はてき面でした。25分間の試合では誰一人ピッチでバテることがなくなり、試合にも勝てるようになっていきました。短期間で全国の強豪となり、創部6年目にはフットサルで日本一の栄冠にも輝きました。現在でもチームの特徴は、豊富な運動量と攻守にわたってのハードワークです。

川澄は「ヌキヌキ」の練習に対して、どういう姿勢でのぞんでいたのでしょうか。

「ナホですか? 彼女は負けず嫌いの性格もあって、一度もリタイヤしたことはなかったですね。慣れてくると、上級生を抜いて一番前を走っていることもありました。小学校2年生のときから練習を見ていますが、彼女はサッカーが大好きなんです。カゼで高熱が出ているのに練習場に来たことがありました。そのときはさすがに怒って帰宅させましたけどね」

いまのなでしこでの練習でも、一切手を抜かず、練習後は真っ先に用具の片付けをおこなう川澄の練習姿勢。その下地はきっとこの頃から作られていたのでしょう。

■母親といっしょにランニング

もうひとつ、川澄選手が走力やスタミナを身につけた練習があります。それは母親とのランニングです。小学校3~4年生のころ、夕食前に母親といっしょに毎日走っていました。家のまわりに一周約5キロの道があり、そこを二人で走っていたのです。

小学生にとって5キロはかなりの距離。しかも大事なことは、スピードが大人である母親と同じであったということです。母親のペースに子ども時代の川澄が徐々に合わせていったのです。母親は学校時代にバレーボールで活躍。出産後もスポーツを楽しみ、ママさんバレーで全国大会出場の経験も。また50歳を過ぎてからホノルルマラソンで完走もされています。走る習慣によって少女時代に養われたスタミナは、高温多湿のベトナムでも、その力を存分に発揮しました。それくらい、この年代での走る練習は身体の基礎を作ってくれます。

走力とスタミナの素地は育成年代にこそ、身につけやすいものです。

また、少女の成長には地域のよき指導者の存在と同じくらい、スポーツを楽しむ家庭環境が何より重要です。代表選手になるならないは別として、スポーツをする少女には不可欠な要素といえます。激しい試合中においてさえサッカーを楽しむ川澄奈穂美の姿を見ると、あらためてそれを強く感じます。

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