03.23.2017
「競技力の向上」と「人間的な成長」は両立できるのか?75万人の指導者が学ぶダブルゴール・コーチング
勝利至上主義、行き過ぎた指導が問題になっているいま、より効果的で、子どもたちの成長に寄与できるスポーツ指導が求められている。
「勝利」と「育成」は両立するのか? 指導者ならば誰でも自問したことがある難しい問題だろう。そんな命題に対して明確な答えを持ち、コーチングプログラムを提供しているのが、ポジティブ・コーチング・アライアンス(PCA)だ。
PCAが掲げるのは、選手の競技力向上と人間としての内面の成長を促す「ダブル・ゴール・コーチング」。
アメリカで生まれたこの取り組みは、創設から20年で75万人の指導者が学ぶ。約3500の学校やスポーツクラブ、ユースプログラムに導入され、860万人を超えるアスリートの成長に貢献するとともに、全米のスポーツコーチの基準となりつつある。
2月、日本のスポーツ指導の発展を目指す「特定非営利活動法人スポーツコーチング・イニシアチブ」により、国内初となるPCAのワークショップが都内で行われた。今回は、その様子をレポートしながら、「ダブルゴール」を掲げるPCAのプログラムに迫る。(取材・文:大塚一樹 写真:COACH UNITED編集部)
■「前向きな姿勢」が、選手の成長と勝利につながる
「より優秀な運動選手になることと、より良い人間になることは矛盾しません」PCAのトップコーチであり、今回のワークショップの講師を務めるトニー・アッサーロ氏は、PCAのコンセプトの核となる「ダブル・ゴール・コーチング」について説明する。
コーチ歴45年のトニー氏は、野球やアメリカンフットボール、バスケットボールなどさまざまなスポーツを指導するなかで、PCAの提唱するポジティブなコーチングの効果を実感しているという。
ダブル・ゴールを指導するコーチは、勝つために全力を尽くすことと、スポーツを通した人生のレッスンを行う事のできるコーチだというのがPCAの考え方だ。
ワークショップでは、はじめに参加者に次のような質問が投げかけられた。
あなたのご意見は?
a)「前向きな姿勢」がアスリートの成長を促すと思いますか。
b)「後ろ向きな姿勢」は成長の妨げになると思いますか?
トニー氏によれば、PCAは、創設者であるジム・トンプソン(元スタンフォード大MBA教授)氏が、ネガティブな叱責よりもポジティブな声がけで成果や結果が出ることに気がついたことから始まった。
ポジティブな声がけは、選手に対してもポジティブな伝わり方をする。より良い決断につながり、何より逆境に強くなる。ネガティブな声がけは、選手たちはきちんと聞いているように見えても実は上の空。自分が尊重されていないと感じる。
「前向きな姿勢」が、アスリートの成長を促し、その成長が勝利につながるというのがPCAの基本的な概念だ。
続いて出された質問は、
・どうしてスポーツにこれほど「後ろ向きな」な姿勢があるのでしょうか?
・どうやったらそれを減らすことができるでしょう?
というもの。
この二つの質問に対して、参加者は数名のグループでディスカッションを行い、答えを発表し合う。
「スポーツに限らず日本の社会自体が、欠点に注目をして、それを修正するのが指導者だという文化がある」
「練習でも、『ミスをしないで終えることができたら終了』とか、ミスを許さない、ノーミスが偉いという空気がある」
現役の指導者やスポーツ関係者が多い参加者からは、日本のスポーツ界を覆う「後ろ向きな」空気を認識するような声が挙がった。
続いて、参加者のディスカッションから挙がった解決方法が発表された。
「負けた試合でのフィードバックが大切になる」
「選手の意識をポジティブなところに向ける」
「指摘や指導をするにもタイミングを考える」
トニー氏は参加者の発表に大きく頷き、拍手を送ると、PCAが大切にしている基本概念について話し始めた。
■自主的な努力をし始めた選手は簡単に諦めない
「ポジティブな声がけをして競技力を向上させて勝利を目指し、同時に人間的な成長を促すためには、"秘伝のソース"が必要です。それがこれまでPCAが蓄積してきたものなのです。PCAでは、『ELMツリー』という考え方をしています」トニー氏が解説したのは、ELMツリーと呼ばれる概念。
Eは、Effort(努力)
Lは、Learning (学び)
Mは、Mistakes are OK(ミスをしても大丈夫)
努力すること・学習すること・失敗から立ち直ることを重視したELMツリーは、技術向上のために努力をする選手、目先の結果ではなく学びを重視する選手、失敗してもすぐ立ち上がり、簡単にあきらめない選手を育成することができると言います。
「スポーツには二つの定義があります。スコアボードの定義とマスタリーの定義です」
次にトニー氏が挙げたのが、スポーツの試合を定義づける二つの考え方だった。
トニー氏が「スコアボードの定義」と言うのは、点数がすべての基準となり、選手同士を比較するミスを許さない考え方。多くの指導者が「スコアボードの定義」で試合を見がちだが、特に育成年代では、マスタリー(習得)の定義が重要になるとトニー氏は言う。
「スコアボードの定義と違い、マスタリーの定義では選手個々の努力を重視し、学習を重視します。チャレンジは大歓迎で、もちろん失敗してもOKです」
スコアボードの定義で育った選手は結果にとらわれすぎるため萎縮することも少なくなく、一方、マスタリーの定義で育った選手は、不安感が減り成長が促進される。
「自主的な努力をし始めた選手は簡単に諦めることがない。これも大切なことです」
トニー氏は、スコアボードの定義よりマスタリーの定義で育った選手は、自発的な努力を始めるようになるため、簡単に諦めたり、途中で投げ出したりすることが少ないと言う。
●スコアボードの定義:点数が基準 結果を重視 他チーム、選手との比較
●マスタリーの定義 :習得が基準 努力や学習を重視 自分と比較
PCAでは、ELMツリーを一つのサイクルとし、マスタリーの定義で選手を見つめている。ポジティブな声がけ、スコアではなく習得を中心に据えた指導はアメリカで大きな成果を挙げている。
次回後編では、ELMツリーのサイクルを実践するためのE(Emotional)タンクのため方などの指導実践方法、スポーツに関わるすべての人が心に留めておきたい「ROOTS」について紹介する。
ミスをした選手は誰の顔を見るか?ネガティブな感情は選手の成長にとって悪影響しかない>>
【取材協力】
特定非営利活動法人スポーツコーチング・イニシアチブ/
指導者・保護者に対して、学ぶ機会を創出することで、日本におけるスポーツ教育をより良いものに変容させることを目指す。PCAワークショップなどを通し、「ダブル・ゴール・コーチング」の普及活動を行う。
取材・文 大塚一樹 写真 COACH UNITED編集部