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サッカーにおける『監督力』の重要性

選手にそれぞれのプレースタイルがあるように、彼らを指導する監督にも個性がある。威厳を保って選手たちを統制する者、情熱を持って選手と接する者、勝利を貪欲に追い求める者、常に冷静な姿勢を見せ試合を分析する者、選手との結びつきを深く考えてチームの輪を取り持つ者など。頭脳戦の要素が大きいサッカーにおいて、彼らチームを率いる指揮官の手腕は、戦力と同等に勝敗に大きく左右するものとなっている。ここでは監督力の大切さを示した一人の指揮官をクローズアップする。(文/一色伸裕 写真/Mutsu Kawamori

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■小さな町クラブを、欧州トップクラスへ

現在マンチェスター・シティで指揮を執るチリ人監督のマヌエル・ペジェグリーニ。同監督は優れた人心掌握術で選手たちを束ね、チームの組織力を上げることに定評のある指導者である。いまでこそマンチェスター・シティというビッグクラブを率いているが、名将の呼び名を得られるようになったのは、ビジャレアル、マラガ時代の功績があったからと言えるだろう。

母国チリ1部リーグのリガ・デ・キト、アルゼンチン1部リーグのサン・ロレンソ、リーベルプレートなどの監督を歴任してきた同監督は、2004年7月にスペインの人口4万8000人ほどの小さな町のクラブ、ビジャレアルの監督に就任。当時のチームはバルセロナから期限付きで移籍していたアルゼンチン代表MFリケルメを中心に力を付けつつあったが、それでも弱小クラブの域を脱することができず。98―99シーズンの1部リーグ初参戦以降は力不足で下位が定位置となっていた。

監督に就任したペジェグリーニは、限られたクラブ強化費の中で必要最低限のピンポイント補強を実施。当時マンチェスター・ユナイテッドで結果が出ず、戦力外として名前の上がっていたウルグアイ代表ディエゴ・フォルランを格安の300万ユーロ(約3億9600万円=1ユーロ132円換算)で獲得。守備でもU-20アルゼンチン代表としてプレーしていたゴンサロ・ロドリゲスを補強した。資金力のあるバルセロナやレアル・マドリードと違い、ビジャレアルは少ない予算のなかで補強を進めなければならなかったが、ペジェグリーニは厳しい懐事情の中で適材適所の補強を進めチームをつくり上げると、その年のリーグ戦では3位という好成績を収めた。翌シーズンの欧州チャンピオンズリーグ(CL)では、初出場のチームを準決勝まで導き、"ビジャレアル旋風"を巻き起こした。

06-07シーズンには、チームの"王様"として君臨していたリケルメをメンバーから外すという思い切った采配を執る。チームはリケルメへの依存度が高かく、その出来の良し悪しで試合の内容も大きく変わっていた。リケルメも自分本位なプレーが目立っていて、チームの不協和音を呼ぶこともあった。ペジェグリーニ監督はこの"王様"を外すことで、思い切った改革を断行。翌シーズンにはレクレアティーボ・ウェルバでプレーしていたサンティ・カソルラ(現スペイン代表)を1シーズンぶりにチームに呼び戻し、リケルメの後釜に据えてチームをつくり直した。カソルラを中心としたビジャレアルは、このシーズン、クラブ史上最高位となり1部リーグ2位でシーズンを終えることとなった。

ビジャレアルでの功績が認められたペジェグリーニは、09-10シーズンに欧州屈指のビッグクラブであるレアル・マドリードの指揮官に招聘されたが、ここでは常勝チーム監督の責務である"タイトル"を獲得できなかったことで、飽きの早い会長にジョゼ・モウリーニョに乗り換えられる形で1年で解任されてしまった。

■適材適所の補強・起用法で、弱小チームを強豪へ

レアル・マドリードの解任からおよそ半年後の2010年11月。同国1部リーグのマラガは、ペジェグリーニの監督就任を発表した。その前のシーズンを17位と、ギリギリのところで残留を果たしたマラガは、この2010年6月にカタールの王族がクラブを買収。新会長はマラガのビッグクラブ化計画を打ち出し、そのプランの一役を担う指揮官としてペジェグリーニに白羽の矢を立てた。

監督に就任したシーズンは残留というノルマを果たすと、翌年は名将としての手腕を遺憾なく発揮。ビジャレアルから愛弟子カソルラを呼び寄せチームの中心に据え、ベテランとなり、ピークは過ぎたと言われていた元スペイン代表MFホアキンを再生、現在のスペイン代表で中核を担いつつあるイスコ(現レアル・マドリード)の才能を開花させた。彼らの活躍もあり、チームは大躍進。そのシーズンを4位で終わらせ、ビジャレアル同様に欧州CL初出場へとクラブを導いた。その後はクラブの給与支払の遅延問題などもあり2013年のシーズン終了後にマラガを去ると、その年の6月にマンチェスター・シティ監督に着任。就任初年にしてプレミアリーグのタイトルを取り、現在に至っている。

これまでの成績からも分かるとおり、ペジェグリーニの名将たる所以は、ビジャレアル、マラガと、下位が定位置となっていたクラブで結果を出しているところにあると言えるだろう。ある程度戦力が揃っていたり、チームが完成された状態で指揮官に就任し、結果を出している指導者はたくさんいる。だが、同監督のように、戦力で他の後塵を拝する中で既存の選手でうまくやりくりし、補強をしてもネームバリューのある選手ではなく、適材適所の補強をして強豪と渡り合ってきた監督はそうはいないだろう。自身の戦術を遂行できる選手かどうかを考え、システムにはめていく。マラガでは上記のとおりピークの過ぎたホアキンや、まだ芽の出ていなかったイスコなどを用い、監督が掲げていたポゼッションサッカーを形にしていった。当時のマラガにはフル代表でレギュラーを張るクラスの選手はいなかったが、それでもレアル・マドリードやバルセロナといった強豪に次ぐ位置につけることができた。ビジャレアル、マラガでの結果は、戦力だけがすべてではなく、監督力も勝敗に影響するということを示すものとなった。

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■ペジェグリーニの持ち味、"人心掌握術"

知将としてクールなイメージの強いペジェグリーニだが、選手の心を操る"人心掌握"にも長けている点も、ほかの監督とは違うところと言えるだろう。「試合以外のところも気にかけてくれ、いつも声をかけてくれる。家族のことなど、人生の先輩としてアドバイスをくれることもある」(ダビド・シルバ)という言葉が示すように、選手と監督の立場ではなく、人と人との関係を持って選手たちと接することもあるという。ペジェグリーニ自身は「人との付き合いが好きなだけ」と言うが、ゴルフ好きな選手と一緒にゴルフをしたり、結婚記念日が近い選手がいればプレゼントを送ったりなど、ピッチ以外での選手との付き合いを大事にしている。もちろん、付き合いを押し付けるようなことはしない。「空気を読める人だから、無理強いは絶対にしない」(イスコ)というように、そのときどきの選手の心情を察して、距離を取るか否かをしっかりと考えている。

12-13シーズン、マラガが欧州CLで8強入りしたときに、このようなことがあった。ドイツ強豪ドルトムントとの準々決勝第2戦、負ければ大会敗退が決定する大一番。クラブの給料未払、他クラブへの移籍金の支払い遅れなどの問題で、向こう4シーズンの欧州カップ戦への出場を禁じられる処分が下されたばかりで、チームには重苦しい空気が漂っていた。そこにきて監督の最大の理解者であった父親の訃報。選手たちも深く悲しみ、試合への戦意が消えかけていた状況だった。そんなとき、チリに緊急帰国をしていたペジェグリーニから1本の電話がベテランのホアキンにかかってきた。

「私は試合に間に合うように帰る。どうかみんなに伝えてくれ。『悲しみを重ねてはダメだ。クラブは苦しいときであり、みんなが戦う姿勢を見せることでファンは勇気を持ってくれる。一人でも多くの人を勇気づける。それは私たちにしかできないことだ』と」。

結果は、接戦の末に試合終盤に逆転を喫して惜敗となったが、戦前の重く停滞していたムードを払拭するかのように、選手たちは素晴らしい試合を見せ、その戦う姿勢にファンの多くが感動した。大会を終えシーズンが終わると、多くの選手がクラブを離れ、監督もマラガを去った。だが、このときのチームはマラガの街の誇りとして、今も愛され続けている。

戦力として欠ける部分があっても、戦術次第ではそれを補えられる。選手たちの気持ちを理解し、その心を動かすことができれば、より高度なレベルでその戦術を遂行することができる。ペジェグリーニは、"監督力"の重要性を示し続ける指導者の一人と言えるだろう。