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なぜうまい?南米選手の個人技(後編)

南米選手が私たちを魅了する個人技とは、むしろ子どもの頃から遊びの中にあった「フットサル」にこそあるように思う。サッカーのプレーとフットサルが同じとは言わないが、フットサルは子どもにとって"サッカーの凝縮版"に見えているのかもしれない。後編となる今回は、フットサルを経験してきた南米選手が、パフォーマンスを存分に発揮できているのはなぜか? また、南米のコーチは彼らにどのようなコーチングを行うのかを紹介する。(文/隈崎大樹 写真/ASCOM Prefeitura de Votuporanga

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■南米文化に発祥する「フットサル」という言葉

スペイン語で「salon(サロン)」という言葉がある。日本でも「ヘアーサロン」「ネイルサロン」のような言葉で聞き慣れているだろう。元々は「ホール」を表すこの言葉だが、『フットサル』というスポーツ名は、futbol(フットボール)とsalon(サロン)が組み合わさってできている。私が南米にいたとき、友人から「KUMA(私のニックネーム)、今日はサロン(salon)でやるぞ」と言われれば、これはもちろんフットサルをプレーしようという意味だ。

少し余談になるが、南米のフットサル場に面白い発見があった。日本のフットサル場の床は、人工芝・木材・タラフレックス(スポーツ床材)のいずれかである。ところが私が訪れたパラグアイでは、石のタイルを敷き詰めた体育館でプレーをするのが一般的だった。個人宅の造りからして、外壁はレンガ、床は石のタイルが多い。まさしく「床」の上でサッカーをするという意味、フットサルの語源がわかるというものだ。そんな雨に濡れない狭小のスペースを使ってでも、サッカーごっこがしたい南米の人たち。フットサルという言葉ひとつからして、深いサッカー文化が隠されているように思う。

■「隠す」「収める」に秘められたボールコントロール

フットサルコートはおおよそサッカーコートの9分の1の大きさ。その中で5対5のプレーを行うわけなので、「ムーブ・ウィズ・ザ・ボール」のように広いスペースを必要とするプレーはなかなかできない。よってフットサルでは、ボールコントロールが必須になる。南米選手がフットサルをするとき、ボールをしっかりとコントロールすることはもちろん、加えて「隠す」と「収める」プレーを得意とする。「隠す」とはボールホルダーがDFのプレッシャーを受けているとき、一瞬視野からボールが消えるようなコントロールをすることを指す。「収める」とはDFと対峙したとき、身体の中心にボールを置くことを指す。

私が南米で「隠す」プレーをされたとき、「これは獲りにいけないなぁ」と苦戦したボールの持ち方がある。それはDFとボールの間に身体を入れながらのボールコントロール。DFはボールホルダーの身体越しにあるボールを見なければならず、そればかりにとらわれていると相手が行きたいコースへ進入されてしまうため厄介だ。日本では「シールド」と言われる技術だが、南米の選手はそれを行う途中にさまざまなステップを踏みながらボールをキープする。歩く速さでコントロールしているかと思えば、急にギアチェンジしてトップスピードで私の身体の前に割り込んでくる。DFをやっている私は一瞬たりとも気を抜けないのである。

「収める」プレーでは、ボールを止めてDFと1対1になるとき、ボールホルダーは股の下、両足のインサイドの中央に置く。このプレーはバルセロナのネイマールを例に挙げるのがわかりやすいだろう。彼がピッチサイドで相手と対峙したシチュエーションをイメージして欲しい。DFはネイマールの懐にボールがあるため、うかつに飛び込めない。それはまるで武道の間合いそのもの。一歩でもネイマールの間に入ろうものなら、彼は相手をいとも簡単に抜き去ってしまう。もちろんただボールを収めればよいというものではない。ネイマールは相手と対峙している間、絶えず「味方はどこにいるのか?」「DFの重心はどちらに傾いているのか?」「どこのスペースにボールを運べば有利にプレーできるか?」を考えている。ただ止まるだけではなく、状況把握をしっかり行うからこそ次のプレーの成功に繋がるのだ。

■「一呼吸」おくことがプレーに幅を生む

「あの子にはpausa(パウサ)のプレーが必要だ」。私がアルゼンチンの古豪ボカ・ジュニアーズの日本スクールで通訳をしていたときに、アルゼンチン人コーチが漏らした一言だ。パウサとは直訳すると「休憩」という意味。「プレー中に休憩!?」と一瞬驚いた私だったが、すぐにその意味を理解した。それはあえてプレースピードを下げ、周りの状況をより把握しやすい状態でプレーするということなのだ。私は南米でプレーする以前は、とにかくスピードのあるプレーが一番だと思っていた。スピードこそ南米サッカー、そればかり思い描いていた。しかし、南米で現地の人とプレーをする中で、彼らが時折見せる「一呼吸のプレー」を肌で感じ、「速い(早い)プレーだけがサッカーではない」ことを学んだ。

日本ではこのテーマについて、どのようにコーチングをすれば選手が理解できるのか、正解を出すのは難しいかもしれない。そこにはサッカーの現場で使われている言葉の少なさの問題があるからだ。日本でプレー中にコーチが「一呼吸のプレーをしよう」と言っても、おそらく伝わりづらいだろう。そもそも、サッカーのプレーを簡単な言葉で表現するのがとても難しい。特に日本ではひとつのプレーに対し、聞いただけで瞬時にイメージがわく言葉が少ないように感じる。サッカーのプレーを言語でより細かく伝えるためには、今までサッカーの現場で使われていなかった言葉も駆使し、サッカーの動作とマッチングさせながら増やしていかなければならないだろう。パウサのような「休憩」「一呼吸」というニュアンスを日本でも上手に伝えられるようになれば、育成面でアドバンデージを得られるはずだ。