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考える選手を育てるのに「敬語」はご法度!?

日本の文化・習慣では"ありえない"ことでも、異国では当たり前のように行なわれていることがある。そんな世界の常識の中に、日本サッカーの指導を変えるヒントが隠されているのではないか――。そこで今回は、世界の中の「JAPANの現在地」を確かめるべく、二人の海外サッカー経験者の話を聞いた。一人は高校卒業後にブラジルへサッカー留学し、帰国後はスポーツプロモーションの分野で活動している宮野友輝氏、もう一人は大学在学中にアルゼンチンでプレーし、現在もスペインで現役プレーヤーとして活動している今井謙太郎氏。お二人の貴重な経験を交えながら、日本と海外の常識の違いを紹介する。(取材・文/隈崎大樹 写真/woodleywonderworks

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■"対等"なコミュニケーションが世界の当たり前

おそらく日本人の感覚の中には、スポーツは選手と指導者が二人三脚で苦楽をともにし、勝利を掴むというイメージがあることだろう。現に、フィギュアスケートやマラソンをはじめとするオリンピック出場選手を描いたドキュメンタリー番組でも、そうした場面がクローズアップされることがある。選手は指導者を"人生の師"として従い、絶対的な信頼関係を築き上げている。これは本当に素晴らしい主従関係であり、主に個人競技においては有効な指導方法なのかもしれない。

一方、海外ではこうした従属的な上下関係はありえないという。「選手は監督のことをリスペクトしていますが、立場が上であるとは思っていません。トレーニングでも、疑問点があれば積極的に監督に質問し、納得をしてから取り組むのが当たり前です」と語るのは宮野友輝氏。選手は監督の発言を納得するために質問し、監督はそれに適切な回答を示す。「やれ」ではなく「やるべき(必要性)」をプレゼンテーションする、といった格好だ。つまり上下関係ではなく、互いが対等な立場であることが伺える。これに対して日本では、従来のスポーツ文化が対等な立場を築きにくい原因を作っているという。

■敬意とともに上下関係も生み出す「敬語」という文化

日本では丁寧語や尊敬語など、相手を大切に思いやる気持ちが言い回しにも表れる。反対に、相手と対等の立場でものを言う若者言葉が"タメ口"だ。ところが、選手と監督を対等にするためにとはいえ、両者がタメ口で話そうものなら違和感どころか罪悪感を覚えるのが日本人の自然な感覚だろう。「スペイン語でも初対面や目上の人に使う言葉はあります。しかし日本の敬語のように、その言葉で会話をするだけで自然に力関係が決まることはありません。たしかに生意気な言葉で話したら、それはリスペクトの問題として怒られることもありますが、基本的に両者はタメ口で話していますよ」と今井謙太郎氏は言う。

筆者も南米でサッカーをしていた当時、なかなか試合で自分を使ってくれない監督に意を決し、「監督! なぜ俺にプレーのチャンスをくれないんだ。俺は十分できるレベルを持っている!」と直談判したところ、次の試合から私を使ってくれるようになった。これが日本だと、なかなか監督に直訴するという場面は少ないのではないだろうか。選手の自主性にも関わる「上下関係が生まれやすい日本の敬語文化」に対しては、とりわけ指導者の側が意識して選手と接する必要があるだろう。

■『敬語禁止ルール』で選手との立場を対等にする

選手と対等な立場を形成する方法として、トレーニングや試合ではタメ口でコミュニケーションを取る『敬語禁止ルール』を作ってみると面白い。「選手が監督に萎縮せず、オープンマインドな関係性でいるには、あえてサッカーの時間だけはすべての人とタメ口で話すというルールを設けるとよいかもしれません。はじめはぎこちない雰囲気でしょうが、慣れてくると選手が監督に遠慮せずにコミュニケーションをとるようになるはずです」とは宮野氏だ。

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この『敬語禁止ルール』は、選手と監督の円滑なコミュニケーションを目指す他に、サッカーに必要な「考える力」を芽生えさせる狙いもある。選手はサッカーをしている最中、プレーに関して何かを感じたり、監督の言っていることに疑問や異議を持っているはず。それが考える材料となるのだ。しかし、その思っていることをコミュニケーションで解決・理解できない状態が続くと、選手は考えるという作業を止めて何ごとも言われるがままプレーすることになってしまう。こうなってしまっている選手に「考えてプレーしろ!」と指示する監督がいるが、それは"暖簾に腕押し"というものだ。すべての指導者はいま一度、「選手が考えていることを発信できる環境を作っているか?」ということを確認する必要があるだろう。

もうひとつ、選手の考える力を伸ばすためには、監督ができる限り選手の質問に丁寧に答えることが重要になる。たとえばシンプルな対面パスのトレーニングに対して、選手に「監督、なぜこのトレーニングをするんですか?」と質問されたら、監督は選手が納得できる回答をする義務がある。「パスのトレーニングに決まっているじゃないか」と、選手をあたかも「空気の読めないヤツ...」として扱ってしまっては、選手はその練習に納得できず、もちろん楽しくトレーニングなどできないだろう。「場の空気を読む」ことに長け、その場を円滑に進めたいという日本人の美徳意識が、コミュニケーションの機会減少に拍車をかけていることには自覚的であるべきだ。

日本で生まれ育ってきた私たちからすると、目上の人に敬語を使うのはごく当たり前の「常識」であるに違いない。それは文化として築かれてきたものであり、ここで良し悪しを判断することはできない。だがこうして海外の常識と比べることにより、日本にある「常識」にフラットな疑問を持つことが、日本のサッカー環境を見直すよい機会になることは間違いないだろう。

海外の指導者たちはなぜトガって見えるのか?>>

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