02.07.2014
曲げるのか、貫くのか/「ベッカムに恋して Bend It Like Beckham」映画評
「ベッカムに恋して」。日本では2003年に公開された映画であり、すでにご覧の方も多いだろう。僕はといえば、2002年W杯前後のベッカムフィーバーに若干辟易していた部分があり、そういう流れの中でリリースされた本作についても「フィーバーに便乗した商業映画でしょ」と食わず嫌いで見逃していた。
その判断が誤りであったことを知ったのは、割と最近だ。
タイトルからして、制作サイドにベッカム人気を当て込む気持ちがなかったわけはないと思う。だが、少なくともブームに安直に乗った内容では全くない。12年前の映画について過剰にネタバレを気にするのもどうかと思うので、この記事ではある程度内容に踏み込んで論じたい(ゆえに、絶対にネタバレしたくないと思う向きは、申し訳ないが前ページに戻って欲しい)。
この映画は、タイトルとは裏腹にベッカム本人は登場しない。もちろん主人公ジェス(パーミンダ・ナーグラ)のあこがれの存在であり、彼女の部屋を飾るおびただしい量のポスターとして登場しはするが、ひとまず主役はベッカムではない。
主役は、何かを曲げようとする、もしくは貫こうとするジェス本人だ。
原題は「Bend It Like Beckham」という。「ベッカムに恋して」はかなりの意訳(というか、マーケティング戦略だろう)であり、忠実に訳すなら「ベッカムのように曲げて」といったところ。では、「It」にあたるものとは何か? もちろん、ベッカムのようにフリーキックを鮮やかに曲げたいという意味もあるだろう。だが、ここではジェスが置かれた環境そのものと捉えるのがふさわしいはずだ。
女子高生であるジェスの家庭は、敬虔なシーク教の伝統を守るインド移民。白人との恋愛は禁じられ、まじめに勉強して法学部に進み、将来は弁護士になり、インド人との結婚を望まれる。もちろん、肌を露出させてボールを蹴り合うサッカーのようなスポーツに興じるなんてことはもってのほか。
彼女をチームに誘った英国女性ジュールズ(キーラ・ナイトレイ)はショートボブの女性だが、交差点でじゃれ合っていた2人を見たジェスの婚約者の両親に「英国人男性とキスをしていた」と誤解され、一時はそれが原因で姉の結婚が破談に追い込まれそうになったりする。ジェスを取り囲んでいるのは、そういう環境だ。
一方、ジュールズの家庭はジェスに比べると理解がある。何しろ、彼女の父は一緒になって手狭な庭でキックの練習に付き合ってくれるほど。だが、母は娘がサッカーに打ち込むことに否定的で、「(スパイス・ガールズの)5人の中で、男がいないのはスポーティ・スパイスだけよ」と言い放ったりする。それでも、ジュールズはサッカーを続けることに激しい葛藤を覚えるほど苦しんではいない。
ただ、この映画では決して何かを否定しない。ジェスの家庭における風習にしても、抑圧的にのみ描かれているわけではない。うまく家族を出し抜いて練習に参加したジェスは、家に戻れば母の料理を手伝ったりする。また、この映画を彩るサントラにはヴィクトリア、メラニーCらスパイス・ガールズと一緒にB21、バリー・サグー、パートナーズ・イン・ライムといったUKエイジアン勢が多数起用されている。第一、監督のグリンダ・チャーダからしてインド移民だ。
何より、ジェスもジュールズも、家族を心から愛している。自分の夢を理解してくれないことに苛立つ一方で、シーク教に忠実な父母も姉のことも愛している。それでも、いつまでも自分の夢に背を向けることはできない。あるシーンでジェスがこぼす、「一生、夢を隠しては生きられないわ」という台詞が胸を打つ。
抑圧を曲げようとし、自分の夢を貫こうとし、だからこそジェスは苦悩する。この映画を通じて描かれるのは、自分らしく生きようとする人々の美しさ。だからこそ、クライマックスシーンにおけるジェス、ジュールズ、結婚式におけるジェスの姉の笑顔は澄み切っている。ラストシーンのシークエンスには、ちょっとした遊び心(というには豪華)が織り交ぜられ、鑑賞後の爽快感を増してくれる。見るものの心に涼やかな風を吹き込む良作だ。
なお余談だが、ジェス役パーミンダ・ナーグラ自身もシーク教徒であり、2009年に写真家のジェームズ・ステンソンとシーク教式の結婚式"アナンド・カーラジ"を挙げている。映画公開時点で27歳であり、役柄と約10歳差があったのは驚き。なお、38歳となった現在も変わらぬ美貌を保っている(参照)
ジュールズ役のキーラ・ナイトレイは2003年の「パイレーツ・オブ・カビリアン」シリーズで注目を集めたが、世界的に注目を集めたのは本作から。本作は、いわばキーラ・ナイトレイの出世作でもある。「period drama」と呼ばれる特定時代のコスチュームに身を包む役柄が多い彼女が、いわば「普通の」格好をしている貴重な映画としても注目だ。
澤山大輔(さわやま・だいすけ)
1978年生まれ、広島県出身。編集者、翻訳者。フロムワン、スポーツナビ、フリーランスを経て現在某社で丁稚奉公中。訳書に「ザ・シークレット・フットボーラー」「ダービー!! 28都市の熱狂」(東邦出版)。