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前編「サッカーの原点は遊び。教育では育たない部分もある」 前田秀樹(東京国際大学サッカー部監督)×幸野健一

COACH UNITED編集部です。アーセナルサッカースクール市川代表・幸野健一さんが毎回ゲストを迎えてお送りする対談シリーズ『幸野健一のフットボール研鑽(けんさん)』、今回のゲストは東京国際大学サッカー部監督・前田秀樹さんです。
  
前田さんと幸野さんは37年の付き合いになります。日本サッカーが陽の目を見ることのなかった、1980年代から活動してきたお二人が語るサッカーの原点。そして、いまの指導現場に必要なこととは――。創部6年で関東大学サッカーリーグ1部に昇格させ、大学サッカー界に旋風を巻き起こす前田秀樹さんとの対談を2回に渡ってお届けします。

maeda_kouno_01_580.jpg取材・文・写真 鈴木智之

幸野健一(以下、幸野):本日はお忙しい中、お時間を頂きありがとうございます。振り返ると、僕が15歳のときからお付き合いをさせてもらっているので、37年の付き合いになりますね。当時、前田さんは日本代表に入っていらして、大学を卒業して古河電工に入る頃ですよね。

前田秀樹(以下、前田):日本代表の2年目の頃ですね。初めて日本代表に入ったのが、大学3年生のときでしたから。

幸野:その後、日本サッカー界にとって暗黒の80年代を過ごしましたね。

前田:暗闇の中をさまよっていた時代ですよね。1968年にメキシコ五輪の銅メダルがあって、クラマーさんからドイツサッカーの薫陶を受けた時期です。練習法や指導者ライセンスなど、ドイツから学んだことはたくさんあります。ドイツに行くと、子どもたちがすばらしい施設の中で、サッカーをのびのびやっていました。サッカーが文化として根付いていたことに、カルチャーショックを受けましたね。すばらしい環境でスポーツをエンジョイしている姿を見ると、まだまだ日本が世界で勝つためには時間がかかるだろうなと思いましたよ。

幸野:当時、サッカーそのものに対する捉え方に、日本とドイツでは違いがありましたよね。ドイツでサッカーはスポーツで、日本では体育ですから。いまでもその名残があるので、30年前はもっと違っていたのではないですか。

前田:日本とは全然違いましたね。

幸野:前田さんは大学生で日本代表に選ばれて、キャプテンも務めましたが出場キャップはどのくらいだったんですか?

前田:65ですね。当時は年間に10試合、あるかないかですから。日本代表には10年いました。

幸野:いまの若い人たちには信じてもらえないかもしれないけど、W杯やオリンピックの2次予選に進出するのが難しい時代でしたよね。その頃、前田さんや加藤好男さん(元日本代表/現タイリーグ・チョンブリGKコーチ)と僕の3人で、サッカー教室をしたこともありましたね。当時はサッカーがマイナースポーツだったので、会場に行っても子どもが数えるほどしかいなかったり。

前田:そういうこともありましたね。

幸野:どうにかしてサッカーを盛り上げようと、『日本のサッカーを盛んにする会』の活動に協力したり(笑)

前田:セルジオ(越後)とサッカー教室をして、全国を回ったりね。子どもたちに『サッカーは楽しいものなんだ』と、伝える活動をしていました。サッカーは遊びの延長なんだよと。セルジオも「サッカーの原点はストリート、遊びである」と言っていました。サッカーの原点は遊びなのに、日本の場合、きちっと教えなくてはいけないという考えがあるので、指導者がメインになってしまうことがあるんですよね。なんでも、子どもたちに手取り足取り教えるのではなく、子どもたちに学ばせることが大切だと思います。

幸野:日本では、サッカーがスポーツや遊びではなく、体育の一貫として捉えられ、教育的な要素が多く含まれています。本来、サッカーは遊びであり楽しいものであるにも関わらず、過剰な礼節や上下関係などがあり、それが原因でサッカーがおもしろくないと感じる子もいたり。

前田:それが嫌でやめてしまう子もいますよね。ひょっとしたら、そこが、日本のスポーツが"文化"にならない理由の一つかもしれません。日本には、スポーツに対して独自の捉え方がありますよね。それが悪いわけではないのですが、本来の意味である、エンジョイする部分とは遠いのかなと思います。日本のサッカーにおける教育とは、相手をリスペクトすることやフェアであることを意味するのではないかと思います。

幸野:日本のスポーツは、学校教育とともに行われてきました。教育の中でサッカーを教えると、スポーツが体育に変わってしまい、先生に言われたとおりにプレーすることが良しとされて、サッカーというスポーツの本質からずれてしまう部分もあります。サッカーは自分で判断し、決断することが重要なスポーツですから。

前田:それは、日本の指導者が迷っているところだと思います。サッカーの醍醐味は、一瞬、一瞬のひらめきであり判断です。そこは、指導者が教えられない部分でもあります。自由なひらめき、アイデアを持った選手を育てるためには、ある程度、その選手の考えに任せる部分もあるわけです。指導者から、このプレーをしなさい、このプレーはダメだと言われる教育では、育たない部分がありますよね。そこは非常に難しい部分で、多くの指導者が悩んでいると思います。

幸野:選手の自主性や判断力を育てるためには、サッカーだけを考えていてもだめだと思います。普段の生活からすべて、自分で考えて判断し、決断することが大切ですよね。この連載でも何度か言っていますが、日本は電車の過剰なアナウンスを始め、至れり尽くせりの国です。とくに考えなくても、不自由なく暮らしていくことができます。生活面を考えれば、これほど安全で快適な国はないのですが、ことサッカーに関して言うと、それがマイナスに働くこともあるわけですよね。常に自分で考えて決断することを日常から強いられるヨーロッパや南米と、何も考えなくてもある程度はやれてしまう日本。小さな頃からの積み重ねが、ピッチの中で出るわけです。サッカーの場になって急に「自分で考えてプレーしなさい」と言われても、どうしていいかわからなくなってしまう。

前田:いま、私は大学の授業の中で、生徒に論争をさせています。スポーツには、大きく分けると、学校スポーツ、競技スポーツ、生涯スポーツの3つがあります。その中で、それぞれのスポーツの良いところをアピールするディベートをするわけです。まず、そこを理解しないと、スポーツについて語れないのではないかと思いまして。

幸野:いまは3つの違いがあやふやなまま、一言で「スポーツ」とくくられているので、構造的な矛盾ができていますよね。競技スポーツと生涯スポーツでは、求められるものが違って当然のはずなのに。

前田:そうですね。だから幸野君のように、「学校スポーツに頼っているだけではだめだ」と考えて、自分でグラウンドを作って、優秀な指導者を集める人もいるわけで。それはすばらしいことだと思います。そもそも日本は、教育の中でスポーツ、サッカーをしてきました。どの学校にも校庭があるので、学校が持つハードをうまく利用すれば、日本独自のスポーツシステムができると感じています。

幸野:そう考えて、6年前に東京国際大学の監督に就任されたんですよね。

前田:そうなんです。私が取り組んでいる方法が成功して、後に続く人が出てくれば、日本のスポーツ、サッカーのあり方も変わってくるのではないかと思います。学校には勉強をする場があって、サッカーをする場があって、食事をするところもある。こんなすばらしい施設はないですよ。まさにドイツのスポーツシューレですよね。

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