01.08.2015
「GKコーチとして成長したい」山野陽嗣(GKコーチ)×幸野健一 対談【3/3】
COACH UNITED編集部です。サッカー・コンサルタントであり、アーセナル市川SS代表を務める幸野健一さんがゲストを迎えてお送りする対談シリーズ『幸野健一のフットボール研鑽(けんさん)』。今回は、GKコーチの山野陽嗣さんを招いての3回シリーズ最終回となります。(構成/鈴木智之)
幸野:ホンジュラスのクラブを経て、夢であった代表チームのGKコーチになりますよね。これはどのような経緯で?
山野:僕の人生の最大の目標はホンジュラス代表のGKコーチになってワールドカップに出て、日本代表に勝つこと。そしてベスト16に進出することなんです。そのためには、まずホンジュラス1部リーグで結果を出さないと、代表にはつながらないと思っていました。そこで2シーズンに渡ってレアル・ソシエダ、パリーヤス・オネというクラブで活動をしてきました。そうしたところ、ホンジュラスU-20代表チームのスタッフから話が来たんです。「GKコーチはいるけど、どうも良くない。ヨウジ、来てくれないか」と。
幸野:すぐに所属できたんですか?
山野:それが、「まずはテストをするから」と言われ、U-20の合宿に呼ばれて、3日間トレーニングをしました。最初、どんな練習をしようか迷ったんです。見栄えの良い練習をしても良かったのですが、地味だけど、選手たちに足りない基礎技術を徹底的に強化する練習をすることにしました。基礎が身に付いていなければ、応用をやっても上達しないからです。監督にどう思われてもいいから、目の前の選手に必要な基礎練習をやろうと。
幸野:そこではすんなり契約できたんですか?
山野:1ヶ月、音沙汰がなく、問い合わせをしてもなしのつぶてだったのですが、次の合宿が始まる前日に監督から電話がかかってきて「プロフェッショナルの姿勢でチームのプラスになってくれると確信した。ヨウジを知るサッカー関係者にリサーチをしたら、ヨウジは素晴らしいとみんなが言っていた。ぜひ、私と一緒に働こうと」
幸野:やりましたね。
山野:普通ここまで言われたらすぐ契約できるじゃないですか。でも、2回目の合宿に行っても、契約書が出てこない、3回目の合宿に行っても出てこない。またこのパターンかと(笑)。口約束では働こうと言われましたけど、契約をしていても一方的に解雇をする国なので当てになりません。契約書にサインをするまでは、どんな練習、紅白戦であっても、GKが良いプレーをしてくれないと白紙になる可能性があると思ったんです。
幸野:すべてのことが一筋縄ではいきませんね(笑)
山野:毎日がテストの気持ちで練習に取り組み、強豪相手の練習試合を3勝2分と無敗で乗り切って、GKも良いプレーをしてくれました。僕としても結果が出せたかなと思っていた4回目の合宿で、ようやく契約書が出てきて、U-20代表のGKコーチになることができたんです。どこか1試合でも結果が出ていなかったら、辿りつけなかったかもしれません。そして、U-15代表のGKコーチも兼任することになり、正式に働き始めることになりました。
幸野:U-20代表が目指すのは、U-20ワールドカップですよね。
山野:上位4チームが北中米カリブ海予選に進出できるのですが、残り3試合全部を勝たないといけない絶体絶命の中、3連勝でコスタリカを退けて、7チーム中3位(5位コスタリカとの勝ち点差はわずか1)に入ることができました。北中米カリブ海予選は2015年の1月にあるんです。でも僕、いま日本にいますよね。(注・対談は12月中旬に行われた)。最後に大どんでん返しがあるんです。
幸野:色々なことが起こりすぎて、何を聞いても驚かない状態になっていますが(笑)
山野:U-20W杯の中米予選が7月に終わった後、9月から何度か合宿がありました。最終予選まであと2ヶ月半ですが、練習の日数が限られているわけです。クラブと違って、毎日練習できるわけではありませんから。北中米カリブ海予選に向けて、GKのレベルをここまで持っていけば、アメリカやメキシコに勝てるだろうというプランはあったんです。なのに、突如、2014年の10月15日に協会に呼ばれまして、解約通知書を渡されて「今日でクビです」と。契約期間は残っていたにもかかわらず。何の前触れもなく、いきなり解雇です。理由はいまだに分かりません。
幸野:なんと...。
山野:不可解なことが多すぎて、いまだにショックは癒えていません。U-20とはいえ、ホンジュラス代表のGKコーチになって、W杯に出るというのが、僕の夢でしたから1月の予選を勝ち抜けば、その夢が叶うところまで来ていたのに。なおかつ結果も出ていたのに...。その後、ホンジュラスリーグのクラブからオファーがあったのですが、気持ちが途切れてしまってダメでした。1年8ヶ月、日本に帰っていなかったので、一度戻ろうと。それで、今日に至るわけです。
幸野:エピソードが豊富すぎて、時間が足りないぐらいです。山野さんのブログを読んで、ある程度は知っていましたが、本人の口から改めて聞くと、衝撃的なことばかりでした。最後に、今後についてはどのようなイメージをお持ちですか?
山野:いまはホンジュラスにこだわらず、オファーを幅広く見ながら決めようと思っています。ここまで魂を込めて仕事をしてきたので、この解雇すらも、自分にとってもっといい道が開けるためのきっかけなんだろうと。いまだにショックですけど、そう考えています。ただ、サッカーに対する気持ちは湧き上がってきていて、GKコーチとして成長したい、極めたいという気持ちは強いです。
幸野:僕が手伝えることがあれば、言ってください。今後の活躍を期待しています。ありがとうございました。
山野陽嗣(やまの・ようじ)
1979年12月14日生まれ。広島県出身。立正大卒業後、Palm Beach Pumas(米国)、 CD Lenca(ホンジュラス)でプレー。コーチとしては、立正大学、 アルビレックス新潟シンガポール(シンガポール) ※GKコーチ兼選手 、 アルビレックス新潟ユース、Real Sociedad(ホンジュラス)、Parrillas One(ホンジュラス)、Real Sociedad 、U-20ホンジュラス代表GKコーチ ※U-15ホンジュラス代表GKコーチ兼任。
取材・文 鈴木智之