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スポーツは、本当に「楽しむもの」になっているのか? 越智健一郎&末本亮太 ワークショップレポート

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取材・文・写真/小澤一郎

 3月29日、神奈川県内にて越智健一郎さん(写真左:京都精華女子高・ASラランジャ京都)と末本亮太さん(写真右:NPO大豆戸FC)によるワークショップ「コーチから選手への仕掛け・仕向け」が開催されました。二人は独自の指導スタイルから結果を生み出すことで近頃注目を集める若手指導者であり、会場には同業の指導者を筆頭に大勢の参加者が集まりました。今回は、3部構成で行なわれた同ワークショップを前後編の2回に分けてリポートしたいと思います。

 越智さんと末本さんが交代で登壇して自らのスタイル、哲学を説明するワークショップでしたが、1部の冒頭で越智さんはまず「スポーツとは?」という定義について参加者に質問しました。参加者からは「運動である」、「楽しむものである」、「素敵なものである」といった回答が出ましたが、越智さんは「そう言いながらも、そうではなくなっているもの」と意表を突いた定義付けを行いました。

「スポーツを始めるキッカケ(動機)は色々ですが、(選手たちはサッカーが)楽しいから、大好きだからやっています。でも、楽しくなくなる、嫌いになる、塾があるなどの理由でサッカーを辞める選手が出ています。それは何らかのストレスが子どもたちにかかってきているからで、選手にサッカーを続けて欲しいと思うのであれば、彼らを楽しませる、好きなサッカーをさらに大好きにさせる大人の責任、役割があると思います

 このように日本のスポーツの現状を捉える越智さんは、高校サッカーをはじめ学校体育周辺に蔓延する「しっかりしているチーム=GOOD TEAM」、「しっかりしてないチーム=BAD TEAM」というイメージについても映像を交えて説明しました。映像ではピシっと横並びに整列した選手たちが「お願いします!」と一礼するシーンと一人の選手が「撮って、撮って」とハイテンションでアピールをするシーンが紹介され、「前者(の映像)が日本の学校体育で求められる『しっかりした』で、後者が『ふざけている』と思われているものです。でも、日本では試合や大会に出たいから、怒られたくないからという要素によってしっかりさせられているのが現状です」という話がありました。

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「スポーツを通して社会性を育む」

 日本サッカー界でも頻出の言葉であり、越智さん自身も「すごく大切なこと」だと認識していますが、「挨拶、上下関係、シャキッとする、言葉遣いといったものはスポーツをしていないと獲得できないものなのでしょうか?」と問いかけます。5人の子宝に恵まれた越智さんの子どもたちはスポーツをしていないそうですが、当然のように挨拶はできるし、最低限の言葉遣い、TPOもわきまえていると言います。挨拶や言葉遣いはある意味で家庭での躾を通じて、それから子どもたちの発育発達の過程で自然と身に付けていくものです。だからこそ、「スポーツを通して挨拶を、言葉遣いを」という言葉、発想自体が「恩着せがましいわけです」と越智さんは話します。

 その言葉の真意は、「スポーツは人間教育の手段ではなく、元来遊びや楽しむもの」ということであり、それは何も「サッカーを通じた人間教育」を大々的に掲げる学校体育や部活動の指導者を否定しているわけではありません。選手が好きで始めたサッカー、楽しいはずのスポーツの時間にストレスを抱えさせてはいけないという純粋な思い、大人の責任からまずは日本のスポーツに蔓延る「スポーツは人間教育の手段」という概念を取っ払い、「気晴らしをする、遊び、楽しむ」といったスポーツの語源に基づく本来の意味・価値を確認しているにすぎません。その後も越智さんからは、当たり前のものとして考えられている概念を覆すような言葉が次々に飛び出しましたが、前提となるスポーツの定義を明確に打ち出したことによって、誰にとってもすっきりと入ってくる内容になっていました。

 続く2部では、ボトムアップ指導で実績を出している末本さんが登壇し、冒頭で今のスタイルに行き着いた理由について詳しく説明しました。「指導者の仕事は教えること」、「自分が教えればうまくなる」と信じて疑わなかった末本さんが指導法を変えるきっかけとなったのは、約5年前に担当していた小学3年生の「コーチ、何でそんなに偉そうなの?」という一言でした。「対等な立場でやってきたつもりなのでショックでした」と当時の心境を明かす末本さんですが、それを好機と捉えて創意工夫を誓います。

 末本さんがまず試したことは「自分たちで試合会場まで行ってもらう」ことでした。以前から試合会場についても着替えない、スパイクを履かない、ボールも出さない受け身の子どもたちの姿勢に疑問を抱いていた末本さんは、ある時から選手たちに集合時間と試合会場だけを伝えることにして、クラブによるバス手配、保護者の配車も止めることにしました。

「子どもたちの試合なのになぜ大人が全てを管理して、スケジュール通りにやらしているのか。彼らは学校でも時間割通りにきちっとやることを求められ、やらされることばかりが上手になっています。なので、自分たちで試合会場まで行くことをやり始めたら、少し子どもたちの取り組みや意識が変るのではないかと考えて取り入れたところ、正直劇的な変化がありました」

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 末本さんの仕掛けは些細なことかもしれませんが、小学生の子どもたちに試合会場まで行ってもらうことは場合によっては大きな危険、リスクを生みます。しかし、「試合がある一日を自分たちでコーディネートすることがピッチ内外での自主性を育む」と信じた末本さんはクラブ内部、保護者たちの同意をしっかりと取り付けた上で、バランス感覚を持って子どもたちに任せていきました。

するとこんな変化も見えました。受動的にサッカーをやらされていた時には、試合の立ち上がりが悪い課題が目についたのですが、それすらも消えていったのです。また、末本さんが細かな情報を伝達し忘れることがあっても、選手側から「コーチ、次の試合はこういう方法でこの時間に行こうと思うんだけれど、大丈夫かな?」と確認してくるようになったと言います。そういった能動的な姿勢は、如実にピッチ上でのパフォーマンス、結果につながっていきます。

 越智さん、末本さんの二人に見えた大きな共通点は、「常識や現状を疑う力」です。メディアやSNSなどから流れてくる彼らの言動の表層だけを見れば、奇をてらった指導者に映る可能性もありますが、彼らの常識を疑う力の背後には鋭い洞察力と選手たちへの深い愛情が隠されています。目の前の選手に真摯に向き合うからこそ、指導者の世界、日本サッカー界では「当たり前」と考えられている常識も疑うことができるのです。

後編:精華女子が、受け手のクオリティ向上に特化する理由。

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