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コーチである前に「人に関わる」とはどういうことなのか?/大津高校サッカー部総監督・平岡和徳氏の提言

日本テレビ系列「世界一受けたい授業」でも取り上げられた熊本県立大津高校サッカー部総監督で宇城市教育長を務める平岡和徳氏。番組で紹介された「子育てでも会社でも使える 無名のサッカー部を常連校に変えた教育法」は大きな話題となりました。

サッカーのコーチでありながら教育者でもある平岡氏に、昨今、話題となっているスポーツ指導の現場における体罰・パワハラ問題・長時間の練習、さらには現場の指導者が置かれている状況、これからのスポーツ指導のあり方についてお話しをうかがいました。(取材・文・写真:井芹貴志)

※この記事はサカイクからの転載です。



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子供たちの未来にフォーカスした指導を

―― まず、昨今問題になっているパワーハラスメントの問題についてどう受け止めているのか、先生の考えをお聞かせいただけますか?

平岡 社会のなかで、日本のスポーツの根本を揺るがすテーマとしてこれだけハラスメントの問題が取り上げられるのは、私が生きてきて初めてのことです。みなさんもそうでしょう? 以前はアバウトだった「やってはいけないこと」のラインが明確になり、文部科学省も「児童生徒への体罰は許されない」と打ち出しています。暴力だけでなく、暴言もです。

若い指導者の多くにとって、自分が選手だった頃に接した指導者がお手本になっていると思いますが、学校部活動まで含めて「人に関わるというのはどういうことなのか」を日々勉強し、自分が預かっている空間の安心・安全を構築すること、そして子ども達の未来に、もっとフォーカスしなければいけないと思います。

起きたことに対してきちんとした初動調査や対応をしないと、組織の権力闘争などが報道されて論点がずれ、アスリートファーストの考えはどこかに行ってしまいます。悪しき習慣が取りざたされるとき、画面に出てくるのは60歳を超えた強面の人たちばかり。そういう人たちが、やっていいこと、やってはいけないことをきちんと明確にしていれば、彼らに影響を受けてきた若い指導者も、体罰やパワーハラスメントになる手前で止められたと思います。

つまり、指導する側の大人の「場」は整ってきたけれど、子ども達、選手たちが学ぶ「未来」が本当に確保されているのかということだと思うんですよ。

選手も指導者も守りながら成長させる組織づくり

―― 現在の状況はアスリートファーストではない、ということですね。

平岡 これまでの感覚で子ども達に接している指導者も少なくありませんから、こういう時こそスポーツ庁がリーダーシップをとって、日本のスポーツのあり方や子ども達が指導を受ける環境を整えなければいけないと思います。問題が出ている競技団体にとって現状はピンチかもしれません。しかし日本のスポーツにとっては、オリンピックに向けてリセットし、ギアを上げて新しい時代に入っていくチャンスではないかと思います。

――どのように対処すべきでしょうか?

平岡 たとえば、才能を持っていながら選手に対して暴力をふるってしまった指導者がいたとします。現象が体罰なら、必ず原因がある。本来なら、アスリートと指導者を第三者的に見て、不適切な言動や暴力的な行為が起きる前に、しっかりとブレーキをかけるリーダーがいなければいけません。それがないから、素晴らしい指導力を持っていても、切り取られた一部分で「やっぱりNO」と言われているわけです。

強化部長だったり、ガバナンスを統括している人たちが、そういうブレーキをかける役割を担わなければいけない。選手を守るというのが、本来のチームの機能だと思います。ですから、問題が出てきている競技について言えば、組織力が低下しているのではないかと感じます。逆に、問題が出てきていないところは、その手前でリスクマネジメントやコントロールができていると。

―― 選手と同じように、組織も指導者を守りながら成長させなければいけませんね。

平岡 まずは組織的に不祥事の未然防止に努めること。そして、課題等のある指導者にはタイミングを先送りせず、その都度、適切なアドバイスを送り、本人が謙虚に受け入れる「人間力」と「キャリア」を形成していく。これが組織の仕事だと思います。全体を俯瞰できるリーダーが現実を受け入れて改善を促しながら、指導的な立場で才能のある若手をコントロールしていくべきでしょう。要するに、不祥事が起きてからでは遅いのです。

―― サッカー界の場合はどうでしょうか。

平岡 サッカーの場合はいち早く「暴言、暴力はやめよう」というバナーを作って試合前に張り出したり、サッカー協会の指針として、インターナショナルな感覚を持ちましょうと呼びかけ、指導者ライセンスの中心としても「アスリートファースト」「オープンマインド」という考え方をしっかりと教育してきました。

日本人が使っていなかった「相手をリスペクトする」という言葉や、握手の文化も外国から学んで取り入れています。サッカーは世界共通の言語として、いいお手本があったんだと思いますね。

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アスリートファーストのための安心・安定・信頼

―― 部活動は日本のスポーツにおいて大きな役割を果たしてきたと思いますが、競技者のレベルが上がるにつれて、アスリートファーストの視点が薄れるのでしょうか?

平岡 部活動は「より良く生きる」という大きなテーマのもとで学習指導要領の領域に入るので、生涯スポーツにつながっていきます。一方で、競技志向が高まってトップクラスになるほど、選手にも指導者にも部活動とは違う「日本を代表する」という使命感が芽生えてくるのはやむを得ないことです。

しかしアスリートに関わる本質は、指導者が「子どもたちの未来に触れている」という深い自覚を持っているかどうかだと思います。その考えが中心になければ、子どもやアスリートに触れる権利はないと私は思いますね。

―― 選手の年齢は関係ないと。

平岡 はい。たとえば先日、体操の宮川紗江選手が記者会見を開きましたが、アスリートファーストの観点に立てば、10代の選手が勇気を出して記者会見まで開いて「解決してほしい」と訴えているわけですから、大人が早く解決して、本人がプレーできる環境、次の世界選手権に出場できる環境を作ってあげるべきだと思います。

そのためには、言った、言わないの「口論」ではなく、今後どう対応するかの「議論」にしていかなければなりません。口論はエゴの交換、議論は知識の交換です。そういったところの優先順位がないがしろにされているんです。

ですから、各競技団体でリーダーシップを持っている人が、こういう機会に指導者を集めて、臨時の会議を開いたり文書を出したりして、「私たちの競技ではこういう不祥事がないようにしましょう」と広く呼びかけて、組織的な対応を徹底しなければいけない。まずは未然防止、そして早期発見、早期対応という流れが理想的で、サッカー界も含め、他の競技においても対岸の火事で終わらせないことが大切だと思います。

―― 選手と指導者、あるいは各競技団体内での人同士の関係性も大切になりますね。

平岡 指導者が「子ども達の未来に触れている」と考えるなかでは、苦しい練習、厳しい練習を課すことも必要です。体罰、暴言が不要なことはいうまでもありません。それを選手本人が、大好きな競技の一部だと思えるかどうかです。自分が成長し、未来に向けて前に進むために「この指導は必要だ」と受け入れられるか、そこに信頼関係があるかどうかです。

かつてデッドマール・クラマーさんは、熱い情熱をかけて、強い口調で話をし、ときには選手にぶつかったりもしていた。それでも誰もが「ありがたい」と思えた理由は、そこに信頼関係があり、どんなに厳しく苦しい練習でも、「この人に関わることで自分が成長し、日本のサッカーが変わるんだ」という、安心と安定があったからでしょう。

逆に、笑顔やコミュニケーションが不足していたり、一方的な指導ばかりでは、信頼関係も、安心・安定も生まれません。それらが存在する空間ではハラスメントは起きにくいと思いますし、信頼している人からの言葉や情熱なら、子どもたち、選手たちにも受け入れられると思います。



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