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指導の質を高めるには常に考えを他人にさらす必要がある。その勇気が育成指導者には問われる

ドイツサッカー連盟公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)を持ち、15年以上現地の町クラブで指導を行う「中野 吉之伴」。帰国時には、指導者講習会やサッカークリニック、トークイベントを全国各地で開催し、日本が抱える育成の問題や課題に目を向け続けていている。このコンテンツは、ジャーナリストとしても活動する中野が主宰するWEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」が提携を結んだ媒体にのみ提供を行っている。(取材・文・写真=中野 吉之伴)


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選手と指導者の能力は分けて考えるべき

元プロサッカー選手にライセンスは必要か?

この点についてだが、以前「footballista」の企画でドイツサッカー協会の指導者育成インストラクター元主任のフランク・ボルムートにインタビューをしたので、その内容を例に挙げたい。その記事「ドイツの指導者育成教官に聞く『ラップトップ監督』の育て方」を読むと、「なぜ、何のためにライセンスが必要か」がよく理解できる。まだ読んだことがない方は、ぜひご一読いただきたい。特に、私が興味を持ったのは次の質問に対するボルムートの答えだ。

中野「ドイツではプロコーチライセンス(日本でいうS級相当)の講習会を受ける条件として、A級ライセンス所得後に一年以上ブンデスリーガ(1〜3部)コーチ・監督、6部リーグ以上の成人チーム監督、U19・17のブンデスリーガ監督、女子ブンデスリーガの監督といったポストでの実績が必要になります。こうした措置は、なぜあるのでしょうか?」

ボルムート「いい選手がいい監督になるには、長い道のりが必要だと考えている。選手と指導者の能力は分けて考えなければならない。元プロ選手も、プロ指導者として最初から学ぶ必要があるわけだ。そして、何より監督としての実戦経験がなければならない。指導者の育成に必要なのは、講習会やセミナーでの理論習得や指導実践の向上、さらに現場での経験とのコンビネーションなんだ。監督としての経験がない人間に育成のチャンスを与えるつもりはないんだ。講義室で話を聞くよりも、現場に立つ方がよっぽど学びになる。どのように知識を生かすのか。学ぶことではない。学び方が大事なのだ」

プロコーチライセンス取得のための条件設定は、元プロ選手が監督としての経験を積む機会を作るための措置である見方がそこにはある。そして、選手経験の少ない指導者としても、そのポジションで起用されるくらいの人材でなければプロライセンスを取るにふさわしいとは認められないという厳しい線引きだ。自称プロ指導者が乱立し、関わる人が多ければ多いほど競争力が増していく図式にはならない。競争には健全さがなければならず。チーム内のポジション争いもそうだし、ポストをめぐる争いも同じだ。

だから、その基準となる線引きはあるべきだろう。いい指導者を増やすために必要なのは指導者としての素質を見出し、伸ばしていく環境を整えていくことが重要。そしてそこには相互からのアプローチが欠かせない。指導者ライセンスを受けられる人数を制限するのであれば、その選抜・選出方法も健全でなければならない。指導者としての才能があり、学ぶべき人がスムーズに学べる環境を作ることも、もっと整理されていく必要はあるだろう。

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ライセンス講習会が果たす役割とは?

ライセンス講習会とは、その国におけるサッカーへの共通理解を助長する役割も果たす。サッカーは多様的で自由なものだ。いろんな取り組み方ができる。特に日本という国は立地条件の特殊性からも様々な国へ興味を示し、いろんなアプローチをしている。

・ブラジル
・アルゼンチン
・ドイツ
・イタリア
・スペイン
・フランス
・オランダ
・ベルギー
・イングランド
・メキシコ...etc

参考にできる国を挙げたらどんどん出てくる。最近では、アイスランドやクロアチアも入ってくるだろうか。それぞれのやり方を、本当にそのまま取り入れて独自性を貫き、例えば地域ごとにその特徴が色濃くなり、それぞれがぶつかり合うのであれば、日本の中で世界サッカーの縮図が見られるというすごくおもしろい現象が起こる...。

そうなればいいのだが、現状は様々な国のサッカーを研究してあれもこれもと手を出した結果、それぞれの国が発展してきた背景を無視して表面的に良さ気なものだけを取り入れ、なんだか継ぎ接ぎ状態になってしまってはいないだろうか。それでたどり着いた先が「ジャパンズ・ウェイ」。どこからどこまでがオリジナルなものなのか。現在はわからない。いろんな意味で、日本風な道の歩き方だ。となると個人的に思うのは、サッカー講習会などで学ぶべきはどの国でもどの地域でも共通言語としてあるワールドスタンダードのサッカーの部分ではないだろうか。

1対1を激しくとか、パススピードを速くとか、運動量を多くとか、切り替えを早くとか、正しいポジショニングを学ぶとか...。そうしたサッカーのメカニズムを知ることは別にトレンドでもなんでもなく、いわば常識の範疇だ。それは「どこで、どんな指導者のもとでプレーしよう」ともブレてはいけない当たり前のことだ。「ドリブルサッカーをやり通したけど、次のステージではそれができる場所がないからダメだ」というのは本末転倒なサッカーの捉え方であり、ドリブルを強調したサッカーをやっていたとしても、パスの受け手と出し手のコミュニケーションはなければならないし、守備のポジショニングからスライドの仕方はわかっていなければならない。

「どんなサッカーを指向しようとも、これだけは忘れずに大事にしましょう」。

そういう基本を徹底する。そのベースのところさえブレなければ、後はそれぞれの好みでどんどん海外のサッカーをマネてもいいし、独自路線を突っ走ろうとも構わない。極端な話、元プロ選手で様々なコネクションを持っている人物であれば独自にいろんな指導者のところへ弟子入りし、ライセンス講習会で学ぶ以上の知識を仕入れ、経験を積むことだって十分可能だ。

例えばの話だが、日本でS級ライセンス講習会を受講するよりも、ペップ・グアルディオラのもとで1年間研修を受け、毎日密着していろんな話を直で受けられるのであれば、どちらが指導者としてプラスに働くのかは圧倒的に後者だろう。それでもライセンスは必要なのか?

あるいはCLに何年も出場している選手の経験は間違いなく別格だ。そうした場で戦ってきた選手の持つ立ち振る舞いから学ぶことはとても多い。私自身も体験がある。A級ライセンス講習会で元ドイツ代表FWトーマス・ブルダリッチと一緒だったが、講習中の指導実践で彼から「キチ、お前は技術があってスピードがある。勇気をもって挑戦していけ!」と声をかけられた時はすごくうれしかったし、気合いが入った。実際にその後の自分のプレーはとても躍動感があったと思う。プロまで上り詰めた選手時代の経験がマイナスになるなんてことはない。

でも、「だからライセンスはいらない」というのはまた別問題だ。

むしろその経験の活かし方を学ぶための場として、ライセンス講習会は機能しなければならないし、選手サイドからも「そのすごい体験をライセンス講習会に還元してほしい」と思う。S級ライセンス講習会がそうした情報を出し合う場になってきたら、相乗効果ですごいディスカッションも生まれるのではないだろうか。実際にドイツをはじめとするサッカー強国では、様々な立場からのディスカッションによる効果が大きく出てきている。プロだから、アマだから、大人のサッカーだから、育成サッカーだからなんて小さい話をしている場合ではないのだ。そもそも、そういう場で自身のサッカー哲学を他の指導者に認めさせることができない人が、指導現場でどうやって伝えていくことができるのか?

持っている情報を隠しても、そこまでメリットはない。

それよりもその情報を公開して、相手に意見をもらって、さらに磨き上げていく方が間違いなくプラスになる。「ライセンスは不必要」にするのではなく、ライセンスを取るために学ぶ場を必要性の高いものに自分たちが築き上げていく方がおもしろいではないか。現在のライセンス制度の在り方、将来への取り組み方、全国のネットワークのつながり方。改善点はまだまだたくさんあるだろう。

だが、本来それはいいことなのだ。反省して、分析して、作り替えていけばいいだけだ。どの国もそうしている。ドイツを例に取れば、毎年のようにライセンス講習会の内容はブラッシュアップされている。他の国もそうだろう。日本でそれができていないのであれば、できるような空気感を作り上げていかなければならない。それが協会の仕事だと思う。もちろん、難しいのは承知している。でも「だからやらない」のではなく、「だからやらないといけない」。

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指導者であることの原点を思い出そう

教える、指導する、伝える、導く。

そのために何が必要で、何を身につけなければならないのか。考えれば考えるほど、非常に難しく、知れば知るほど、奥が深い。だからこそ、その取り組みはスリリングで楽しいものだ。教え方を学ぶことは新しい発見の連続で、好奇心をとても刺激される。国によって考え方もやり方も違う。国外との比較だけではなく、国内でだって地域によって全く異なる。つまらないなんてことは何一つない。私は、指導者でいられることがすばらしいと思うのだ。

前回のコラムで「指導者はなろうと思えば、誰にだってなれる」と書いた。偉ぶろうと思えば、いくらでも偉ぶれる。知ったかぶりだっていくらでもできる。でもね、誰でも、どんなきっかけであれ、どんな経緯であれ、一番はじめに「よし、指導者をやってみよう」という覚悟を自分なりに行ったはずだ。どんなレベルであれ、どんなカテゴリーであれ、「選手たちが成長できるように一生懸命やってみたい」という思いを抱いていたはずだ。そして、最初の練習前はすごく緊張して、その練習後は言葉に表すことができない充実感があったのではないだろうか。

「指導者ってすごいな。もっといい指導者になりたいな」。

だから、その原点を思い出してほしい。私には、いつでも思い出せる原風景がある。いくつもある。振り返ることができる体験がある。語り合える仲間がいる。いつだって、いつまでも大事にしてほしい。そして、その思いを捻じ曲げないように気をつけてほしい。

子どもたちのために。
彼らの将来のために。

そうした言葉をつづる指導者を、私はたくさん知っている。素敵な志だ。でも、その言葉を重荷にしたり、させたりしてはいけないのだ。その言葉で視野が狭くなったりしてないだろうか。考えが凝り固まったりしてないだろうか。どんなに立派な思想であっても、悲壮感があったら窮屈になってしまう。「これだけの思いでやっているんだから、お前らも全力でやれよ」。それは好意の押し売りだ。指導を学ぶとは、そういうことではない。

「指導者であることはそれだけで喜びだ」と、私は思っている。サッカーを通じて子どもたちと関われる、彼らの成長を間近で見られる。感謝でしかないではないか。だから指導現場に立てるということは、自分のためでもあるという思いを忘れてもいけないのだ。彼らの喜びが何よりという思いの底にあるのは、成長過程の真ん中で選手と一緒にすばらしい体験をすることができるからで、それは他の何かと比べ物にならないほどかけがえのない輝きがあるからだ。その心の声に嘘をついてはいけない。

そういう視点で、まわりを見渡してみてほしい。きっと間違いなく、すばらしい指導者がたくさんいる。その人は、別に有名なJクラブや強豪町クラブでコーチをした経験がないかもしれない。ジュニアの大会でタイトルを取った経歴なんてないかもしれない。ジュニアユースで全国の舞台に立ったことがないかもしれない。就学前の子どもを相手に遊んでいるような人かもしれない。

でも、その人のチームはまばゆい光を放っている。

子どもたちが、保護者が、指導者が無理することなく成長していくクラブとして。「Jリーガーを輩出したクラブ」「全国大会に●年連続出場」というわかりやすい成功例にしか答えを見出せないクラブや指導者よりも、そうした目立つことはなくとも健やかな活動をしている指導者やクラブに対して正当な評価がされるようになってほしいと願っている。日本はサッカー文化が成熟してないなんて嘆くよりも、すでにすばらしい活動をしているクラブや指導者を大切にしていく方がよっぽどいい。私はそう思い続けている。


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【プロフィール】
中野 吉之伴(指導者/ジャーナリスト)
twitter●@kichinosuken
1977年、秋田生まれ。 武蔵大学人文学部欧米文化学科卒業後、育成年代指導のノウハウを学ぶためにドイツへ渡る。現地でSCフライブルクU-15チームでの研修など様々な現場でサッカーを学び、2009年7月にドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを取得(UEFA-Aレベル)。2015年から日本帰国時に全国でサッカー講習会を開催し、よりグラスルーツに寄り添った活動を行う。 2017年10月よりWEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」を配信スタート

▼主な指導歴
「フライブルガーFC(元ブンデスリーガクラブ)U-16監督/U-16・18総監督」/「FCアウゲン(U-19・3部リーグ)U-19ヘッドコーチ/U-15監督」/「SVホッホドルフ/U-8コーチ」

▼著書・監修本
「サッカードイツ流タテの突破力」(池田書店 ※監修/2016年)/「サッカー年代別トレーニングの教科書」(カンゼン ※著者/2016年)/「ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする」(ナツメ社 ※著者/2017年)